このブログを始めようと決めたとき、私は自分自身に一つの約束をしました。
いずれに、偽ることなく、見せびらかす、ただありのままの自分を書きます。
しかし、実際に書き始めると、あることに気づきました。
好かれたいという小さな声が頭の中で鳴り続けました。
言葉を飾ったり、実際よりも冷静に聴かせようとしていることに気づいていることがあります。
それは私の骨の奥深くに染み付いた習慣です。
とりあえず言っておきますが、誰に感銘を与えようとしているのかわかりません。
ちょっと、ちょっと調べてみました。
人間の本能
かつて、人間には慎重なことと繁殖することという2つの主の本能がどうしてもあると考えられることがあります。
彼らの本能を満たすために、私たちは自然に良い見方をされることを切望します。
間違って、私は結婚しているわけではなく、心の底では女性の前で自分をよく見せようとしているのかもしれません。
それは馬鹿げたことのように聞こえます、承知しています。
しかし、まさかの感情(雑なことも含む)をすべて含めることが、私がこのブログに残っているの一部です。
当然ですね。
それを認めるだけで、ちょっと身震いしてしまいます。
でも、もしかしたら、これを読んで気分が少し楽になる人がいるかも知れません。
読んでいて少し傷つくようなら、それは心に響いたということだろう。
そしてそれは知っておく価値があります。
だから私は、本当の自分から話し続けます。
「好かれたい」という欲求の根本
好かれたいという欲求が、私たちを不安にさせ、疲れさせ、さらには憂鬱にさせるのだと思います。
そこで、「かっこ悪い」部分も見せていきたいです。
私は完璧じゃない。全く。
ついでに、それをオープンにするということで、
誰かが少しだけ安心するかも知れません。